koike drums が生まれた日

  • 01 はじまり
  • 02 スネア
  • 03 つけち森林の市

koike drums が生まれた日とは

koike drums の発案者で職人のヒデくんを近くで見守ってきた、杣工房・早川泰輔事務所の早川泰輔氏執筆の日記を、当時の写真とともに振り返ります。ドラムを作りたいという思いがたくさんの人の心を動かし、koike drums が生まれました。

01 はじまり

年初に、工房の下の製材所の息子が、「大きいコンパスを貸してくれ」と言って来た。なにに使うの?と聞くと、「ドラムを作ろうと思って」と言う。

製材所の息子「ヒデくん」は、桶を作る会社に修行に行き、数年前に親の経営する製材所に戻って来た、その桶を作る方法で、地元材でドラムのボディを作りたいと前から相談を受けていたので、とりあえず、ゴニョゴニョ言っていることを聞いてコンパスを貸し、言う通りに型板のようなものを作って渡した。

次に工房に来た時に、
作った桶状のものを持って来た。

ヒデくん宅は旧くは公営の下駄工場で、木曽五木と呼ばれる桧や椹などは得意の材料。
その中でも渋い存在の椹(さわら)を使ってスネアドラムのボディを作ったのだが、そのきれいさに見とれてしまった。

「いいなぁ、、、」と言うと、「いいらぁ、、、」と言い、思わず2人で大笑いした。

「泰輔くん(ヒデくんはずっとタメ口)、一緒にドラム作ろうよ」と言われたので、よしよしこれなら協力する作って聴いてもらおう、と乗り気になってしまった。

桶の作り方は円弧を板に抜いた定規を使って部材を円形になるように削っていく、理屈は円弧の定規に内接するように部材を削り合わせれば円形になるというもの、ドラムは桶と違って転ばせない(底側の円周を蓋側の円周より縮めない)からシンプルな工程で部材が作れる。

厳密に正円では無いのだが、昔の漬物桶はその辺りファジーだしドラムの皮を張るにもそんなに問題は無い、それよりもそのアバウトな感覚で作った桶型ドラムはどんな音になるのだろうか興味があった。桶は部材が縦方向なので、プライ・ウッドやプラスチック製とは明らかに違う音になることもなんとなく想像ができた。

作り始めると、色々迷いも出て来る、ヒデくんはほぼ毎夕工房を訪れ、部材の厚みや皮を張る面の巾やテーパーの角度などを工房の工具を使って調整したり、貼り合わせの糊や精度を確かめたりしていたが、最後はほとんどコーヒーを飲みながらyoutubeで、Led zeppelinやSteve gaddを見て、「いいなぁー」と悦に入って、ヒデくんの奥さんが遅いので心配して電話して来ると「今、泰輔くんとこで会議中」などと嘯いていた。

02 スネア

椹で作ったスネアの塗装が上がり、皮も張ったと電話が来た。

見た目はとても綺麗な印象、叩いてもらうと意外に大きな音が出て好感が持てる、が、スナッピー(スネアドラム下部の螺旋の細い鉄線)が悪いのか妙に響いてちょっと気になる、スナッピーだけでなく鳴り方もボヨボヨとした感じが少しする。

何度も聴くうちに普通のスネアと比べて、構造的には問題が無い、材料を替えてみようという話になり、広葉樹はどうだろうと言うことで欅のスネアを作ってみることにした。

欅のスネアが出来た。
材料は少し厚め、広葉樹ならではの変形を考えて余り薄く出来なかった。

叩いてみると、椹に比べてパチンとした音が出る、単純な2人組は「こりゃいいぞ!」と調子に乗った。
2種類作ってみると他の材料でも、と欲が出て来る、色々話しているうちにやはりここは官材(国有林材=樹齢が古いもの)で作らなくちゃ!ということになる。檜のスネア(木地)。

目方は軽い、檜の官材は目の詰まったものが経年変化すると、針葉樹らしさが少し失われてサクラに似た堅さや表面の硬化が見られることがある、それをヒデくんに話すと、「うん、、、わかる」と頷く。

これはまた興味深いぞと言っていると、広葉樹系製材所の親分や、ガレージ社長が次々訪れ、興味を示して呉れる、どなたも最後には「お前らアホやなぁー(笑)」と言って帰って行くのだったが、、、。

「泰輔くん(いつもタメ口)、そろそろ宣伝のことも考えてよ、、」とヒデくんが言い始めた。

まずは鳴らして、他の楽器とセッションでもしてみないとなぁ、と言うと、「それよりブランド名を考えんと、、、」と言うので、小池ドラムでいいやろ、と言うと、意外に乗り気になって「小池ドラムス!、、いいねぇ!、小池ドラムスで行こう!」と簡単に決まってしまった。

03 つけち森林の市

ブランド名などと言って浮かれているが、こう無邪気に頼まれると少しはカタチにしてみたくなるのが悪いクセで、、。

ヒデくんは発案当初から、5月の連休に付知で毎年行なわれる、木のお祭り「つけち森林(もり)の市」で、ドラムを展示したいと言っていた。
ただ展示だけじゃつまらないから、ストリートでもいいからジャズくらいのあまりうるさく無い音楽を少し演奏してみたらどうだろう、ブースは杣工房と「ツナガルベンチ」の場所を使えば良いから、と言ってみると、まんざらでもない様子。

ヒデくんはいつもはロックバンドでドラムを叩いている一方で、吹奏部出身ということもあり消防音楽隊でのパーカッションとしても演奏をしている、以前から杣工房の展示室兼ライブ小屋「かいがし」でのジャズ・ライブにも脚を運んでもらっていた。ジャズやってみたくない?と聞くと「やりたい!」と言うので、「かいがし」の音楽プロデューサー、原正秀さんに相談に行ってみた。

仕事中の原さんを訪ね、お祭りで少し演奏したいんだが、手伝ってもらえないか頼むと「いいよ」と返事が。「もう使いどころの無いオレだけど、役に立てるなら笑」と嬉しい言葉も。

早速、スネアだけが完成した koike drums を「かいがし」に持込み、休日の午前中に原さんに相手をして貰う。

まだ企画中なのにも関わらず、既に自然発生した応援隊が駆けつけてくれ、ピクニックさながらの雰囲気で、原さんとヒデくんの練習を見守ってくれる。

練習は、原さんのベースをヒデくんが追う感じ、「ツクタ、ツクタ、、」というリズムの繰り返しやハイハットの切れを何度も指摘される。原さんが、レクチュアの最後に「ヒデくんはいつもはどんなのを演奏してるの?」と聞き、「ファンクっぽいロックが好きです」と言うと「ちょっと叩いてみてよ」と仰る。

ヒデくんが叩くと、原さんがベースで入り、ちょっとしたセッションになる。これがいい感じで、段々とヒデくんの顔もほころび、聴いている人達も顔を見合わせている。

「なんか、うまくいくんじゃないの?」と練習を終えて原さんが言った。こんな感じのセッションが木のお祭りの片隅で鳴っていたら気持ちいいだろうなぁと僕も思った。

遅れて塗装屋さんに入っていたバスドラムやタムも順番に出来てきた。塗装を頼まれている「㈲内木木工所」の若社長(兼・職人)、ゆうじくんも段々とコトがヒデくんの趣味の域を脱してきたのが伝わったのか、工房に来るようになった。

ヒデくんが「ジョイントを強くしたスネアを作りたい」と言って工房に来た。練習の際に、原さんに「楽器はなによりも強度が大切」と繰り返し言われていたのを気にしたのかな、と考えていたら、スネア1台分の材料を渡され、「泰輔くん、これを「雇い実(やといざね)で貼付けるようにしてよ」とかなり上から目線でオーダーされた。

「つけち森林の市」も近づき、お祭りの実行委員会で koike drums の企画書を配布してみた。
木のお祭りにふさわしい、地元の若い人達が協力してつくっているものだから、ストリートで演奏とかするけど、色々融通して、皆さんに御理解・ご協力を、と求めると他の実行委員からは良さげな反応が、、、。

よしよしと思っていると、日頃お世話になっている、お祭りの実行委員会長の地区商工会支部長とお祭りの事務局を担当する商工会職員さんから「ちょっと、、」と呼ばれ、「koike drums、ステージでやらないか?」と言われる。聞けば、ステージのアトラクションが一部空いているのだと言う。それは願っても無い、おまけにお祭りの司会は懇意にしている岐阜のFM局のパーソナリティ達、礼を言ってすぐにヒデくんやゆうじくん、原さんに連絡をする。

FM局のパーソナリティ達は協力を頼むと二つ返事でO.K、「FM GIFU」の久世良輔くん、志津利弘くんは2013、2014年の「つけち森林の市」で「ツナガルベンチ」イベントを盛上げてくれた言わば戦友、久世くんは前乗りして付知に入り前夜から盛上げて行こうと言ってくれる。

原さんは「おおごとになったな笑」と言いながらもタイムテーブルに合わせて選曲し、楽譜を用意してくれる。加えて、知り合いの女性ピアニストを呼んでトリオで演奏できるように段取りをしてくれた。

ヒデくんはひとり汗をかき、「まいったな、、、」などと言っている。

ステージ企画はライブだけでは無く、M.Cを取り込んで、koike drums の製作がどう起きてどう進んで来たかをトークショー形式でライブの合間に交ぜることになった。メンバーは司会の久世・志津両氏と、ヒデくん、ゆうじくん、弟子、+演奏をしてくれる原さん達にもコメントをいただくことになった。

ゆうじくんが工房に来て「どうやってヒデを盛上げたらいいすか!」と言うので、ヒデくんをいつも庇いながら製作の助手をしている弟子と3人で、今回は地域を盛上げようとしている若い人を取り上げてもらってインタビューしてもらって、という企画では無いんだよ、自分達が作ったものを積極的にPRするんだよ、だから照れや謙遜は要らない、なにをヒデくんが作りたくてその過程でのサポートする自分達の感触はどうだったか、素直に言えばいいんじゃないか、と話しをする。

演奏がステージで、トリオで、と変更されたので、これはヤバいということで、原さんの友人のピアニスト・桂川知佐子さんに無理を言って練習をもう一度することにした。

初めてフルセット揃った koike drums、スネア以外は椹(さわら)製。

原さんの選曲はカーペンターズの「シング」、「ジョージア・オン・マイ・マインド」、「酒とバラの日々」の3曲。原さん秘蔵のローズ・ピアノを弾けると桂川さんも楽しみにして来て下さった。

ヒデくんの物怖じしない(図々しい、アツカマしい、etc)性分が練習を楽しくしている、判らないことは間を考えずに聞き、教わったことは素直に取り入れる、モタモタなフォー・バースも微笑ましく、ドラムは大きな音で鳴っていた。

お祭り前日の夜、ゆうじくんと弟子がバスドラムに koike drums のロゴを作って貼ってくれ、ヒデくんは仕切りに「かっこいいなぁ、このドラム」と言っていた。

ライブはお祭りの2日目。初日は展示と試し打ちのみで、ヒデくんの友人や近隣ドラマーが寄ってくれる。皆さん、まずはちゃんと鳴るのか心配して来て下さった感が強く、「ちゃんと鳴るじゃないか、それも意外といい音じゃないか!」とちょっと余分に評価してくれたようだった。

叩いてもらっていると色々な反応が来る、中でも乳児・幼児からの反応は面白かった。

あいにくの雨だったが、ライブ開始時刻には小止みに。写真を撮り忘れたが、予定通りにライブ、トークは進み、会場からの飛び入り参加も盛況、参加者の皆さんと原さん・桂川さんとのセッションもその場をおおいに盛上げてくれた。
ゆうじくんは「世界の koike drums に!」と志を語って呉れ、会場は沸いた。

遠く、東京、埼玉、山梨、大阪、尼崎などから、家族ぐるみでこのライブをわざわざ見に来てくれた人達がいた。みんな昨年、一昨年の「ツナガルベンチ」の参加者だった。

ドラムを作りたいという思いが、多くの共感を生み、こうしてその出発をたくさんのひとに見て頂けたのは、ヒデくんの人柄が、真面目さが、廻りに連鎖していったからだと思う。

そこにはそれぞれで自分の生活を楽しむひとが居て、教えてくれたり、世話をしてくれたり、茶々をいれてくれたり、励ましてくれた。こうした動きを、ぜひ続けて行かなければならない、そんな気持ちが湧いて出てくるような今回の企画だったと思う。

最後に、
今から6年前、アトラクションとして同じ野外ステージで演奏したヒデくんの写真。

この時、こんなことを始めるとはお互い思いもしなかった(当時からタメ口はタメ口だったが、、)。生きているものは侮れない、
と強く感じたことだった。

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